20100403
◎意見書提出についての賛成討論
私は、夫婦別姓制度に断固反対するものであり、選択的夫婦別姓のための民法改正に反対する意見書の提出に賛同する意見を述べます。
現在の日本の戸籍制度は、合理的で、非常に良くできた制度であると思います。「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」と規定されています。結婚しようとする男女が、そのどちらかの姓を選んで新しい戸籍を得るのです。
姓は家庭の名称であり、新しい家庭を創るにあたって一つの名称をつけることは、ごくごくあたり前ではないでしょうか?
姓は、家系の継承をあらわす役割も持っています。ですから夫婦のどちらかの姓を選ぶわけですが、家系というものは、もともと同家系ではない二人が夫婦となって、その夫婦から子どもが生まれてくる以上、どちらか一方しか継承できない宿命にあります。
相手の実家の姓になることは、自分が相手の実家の一員になることを示すものではありません。戸籍上、家庭の単位は夫婦と未婚の子であり、婚姻による新家庭は、はじめから両者の実家から独立しているのです。いわゆる核家族の姿ですが、社会を継続するための子孫形成を、平等に、そしてシンプルに制度化しているものです。諸外国の、宗教的戒律を前提にした制度とは比べようがありません。
このように、現在の日本の戸籍制度は、大変すばらしいものであり、世界に誇れるものであります。
ここに夫婦別姓制度を取り入れた場合どうなるでしょうか?
まず、家庭の名称であったはずの姓が、個人のものになってしまいます。夫婦別姓制度を望む人たちにとっては、これでいいのでしょう。夫婦、家庭というものに対する視点が、はじめから、それを構成する一人ひとりになっているのです。
家族・親族という共同体の機能よりも、個人の嗜好や趣味や楽しみを優先するという、行き過ぎた個人主義に立脚し、家族の人間関係を、入りたいと思ったら入会し、やめたくなったらいつでもやめられる、趣味のサークルでの人間関係と同じに考えているのです。このような考え方が蔓延してしまったら、どのような問題が起きてくるか、例を挙げる必要もないと思います。
自分は別姓にしたくはないけれど、別姓を望む人にはそうさせればいいのではと、容認する姿勢の人もいますが、深く考えていただきたいと思います。選択的夫婦別姓が制度化されるということは、別姓と同姓の価値が同じにされることを意味するものです。「既婚はもう恋の障害じゃない」とか、「娘が18歳になったら家族解散式を行う」などと、平気で述べる人たちの奇妙な家族観と、多くの人たちが大切にしている家族観を同じ価値にすることです。
「家族の廃止!」これは、マルクス主義の主張です。夫婦別姓を推し進めようとする目的は何でしょうか? 日本という国をガタガタにして、どこかの国に売り渡そうとでもしているのでしょうか? 全く理解できません。
先日も述べさせていただきましたが、これからの社会に最も必要なことは、「家族の絆」です。家族の絆を壊してしまいかねない夫婦別姓制度に、断固反対いたします。      以上

◎補足
 結婚による改姓によって不利益をこうむる人のためには、「通称使用」の法整備をすれば済むことである。
 しかし、私の思うには、結婚改姓が不利益を生むような社会制度なり、職場環境こそが問題であり、そのような制度・環境を早急に改めなければならない。

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