20220716 NO.1
◎家族について思うこと
社会構成の基本単位は個人であるが、社会の継続を考えるならばそれは家族でなければならない。次世代を担う子が生まれ育てられて社会は継続することができる。

戦後、高度成長期を経て現在に至る間、家族という概念が徐々に薄れてきており、特に近年ではその傾向が加速しているように感じる。そして、概念が薄れていくことに比例して少子化が進行しているようにも感じている。

私は、以前より、多世代が同居して暮らすことが今の社会問題を解決する最良の手法であると考えており、今治市のような地方都市が率先して取り組むべきだと主張し続けてきた。

現役世代が暮らす家庭に年金受給世代が加わったところで、生活費は大きく増えないだろうし、家庭で子育てができ、家庭で高齢者の介護もできる。今の社会制度を活用すれば、育児、介護ともあまり無理をせずに行うことができて、家族の幸福感にもつながっていくと思える。

先日、TV報道で、西日本豪雨で被災した柑橘農家の取り組みを見た。大きく流されてしまった園地と、被災を免れた園地が混在する中で、今年収穫ができるミカンの木を伐採し、全体を再編復旧しようとしている。急傾斜でモノレールでしか入れないものを緩傾斜にし、排水路を兼ねた農道、作業道を整備する。工事は数年間に及ぶが、災害に強く、作業効率の良い園地に生まれ変わる。

園地を整備しても、そこに新植した苗木が育ち収穫ができるまでには、さらに5年以上の時間が必要で、その間、手間と経費をかけなければならない。取材に応じていたその人は、少しでも早く収穫ができるよう、高齢引退した農家の畑を借りて、新たな園地に植える苗木を育てている。地域で受け継がれてきた味を、子や孫の世代に引き継ぐためにしているという、その心意気に感動した。

地域をあげて、家業として柑橘栽培をしているこの地には、Iターン、Uターンしてくる若者が増えている。このようなところでは、私が思い描くような家族、家庭が築かれていくであろう。

家業といえば、小規模な製造業などの事業所が、後継ぎ不足でどんどんと廃業されている。物づくりの国・日本を支える事業所が継続できるような政策が求められる。

今必要なことは、個人で完結できる社会を目指すのではなく、家族を基本にした、家族で支えあって幸福を求めていく社会づくりだと思っている。


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