『パナマ共和国』
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◎パナマ共和国
パナマ運河で有名なパナマ共和国。中南米諸国の一つに位置づけられているが、厳密にいうと、この国の中央部に位置するパナマ運河を境界にして北米大陸と南米大陸とに区分されている。
パナマ共和国は南北方向に細長いイメージであるが、実際は、カリブ海の南端に面する東西方向に細長い国である。北海道より少し小さい国土に400万人余りが暮らしている。首都はパナマCityで、写真のとおり高層ビルが林立する中米有数の世界都市・金融センターになっている。
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パナマCity |
パナマの夜明け ホテルの窓越し撮影 |
パナマ市は、今治市の海外姉妹都市の一つで、昭和52年3月2日に提携された。日本国内の外航船舶の40%以上を今治船主が保有し、その6割程度がパナマに船籍を置いている。
政治的には、5年1期に限定された大統領制を敷いており、ちょっと変わっているのは、大統領が変われば行政庁の役人も総替えになる。この7月から新しい大統領が就任したので、駐日大使も交代し、12月にカルロス・ペレ新大使が今治市及び市内の海運会社を表敬訪問した。
その後、東京オリンピック・パラリンピックのパナマ共和国のホストタウンに今治市が認定されていること。上記のように、パナマの体制が新しくなったこと。パナマCityが建設されてから500周年を迎えたことなどがあり、パナマ市長から招待状を受け取り、菅市長とともに今治市議会議長としてパナマを訪問することになった。
1月26日のお昼前に今治を出発し、松山空港⇒羽田空港⇒ニューヨークJFK空港⇒パナマ空港と乗り継いで、現地時間の1月27日22時ころにパナマCityのホテルに入ることができた。日本とパナマの時差は14時間。結局、まる2日間の路程であった。
パナマCityのホテルには3連泊し、現地時間1月30日18時20分発の飛行機で帰路についたが、この間、日本大使館、パナマ大統領府、オリンピック委員会会長、観光庁長官、海事庁長官、運河庁長官を表敬訪問した。
メインであるパナマ市長表敬では、引き続いてレセプションが行われ政府関係者、スポーツ関係者、海運関連の財界のほか、過去の駐日パナマ大使や5月に今治で交流コンサートを開いた人気歌手のパトリシアさんまでも参加して、盛大に歓迎を受けた。日本側からも我々のほか、大使館員、JICAパナマ駐在の方なども出席した。
開会にあたっては、互いの市長が挨拶し、タオルデザインコンテストの表彰式につづいて乾杯となった。面白いことは、乾杯はシャンパンであったが、その後はコーラなどのノンアルコールドリンクに軽食で、また、閉会にあたっての締めの挨拶はなくて、パナマ市長も含めて、皆がそれぞれ適当に帰っていくのである。あとで聞いたことだが、待ち合わせの時間も適当なもので、約束時間ちょうどに現れることなどほとんどないとのこと。ところ変わればいろいろあるものだ。
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日本大使館 |
海側から見たパナマ旧市街 |
パナマ大統領府やレセプション会場の市迎賓館などは、伝統的建物群が密集し世界文化遺産に登録されている旧市街地にある。旧市街地内では曲がりくねった狭い道路に駐車の列。ちょっと広いところでは両側駐車で、その間を縫いながら走行していく。交差点のほとんどには信号機がなく、クラクションを鳴らしながら突っ込んだ者の勝ちといった状況。
慢性的な渋滞を避けるため、新しい高層ビルが立ち並ぶ新市街地ができ、旧市街地を迂回する海上道路が整備されている。
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海上迂回道路 |
海沿いに並ぶ土産物露店 |
パナマ共和国は、世界で一番古くから台湾と国交を継続していたが、前政権時代の2017年6月に断交し、中華人民共和国と国交を樹立した。国交を結ぶまでもなく中国企業の進出は著しくて、交通の要衝であるこの地を放っておくわけがない。現コルティソ政権では極端な中国寄り政策を見直す動きがあるものの、その影響を排除するようなものになってはいない。
強大になった経済力をバックにした、中国の発展途上国に対する外交進出はすさまじいものがあり、放っておくと日本の国益を損なうことになりかねない。大使館やJICAの活動、民間企業の経済交流に加えて、今回のような自治体間の国際交流も大切であり、今後とも姉妹都市交流を発展的に続けていくことの必要性を強く感じさせられた。
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City中心部の公園 |
大平正芳元総理の胸像 |
現地に行って初めて知ったことであるが、パナマCity中心部の公園に、香川県出身の大平正芳元総理の胸像がある。パナマ運河の新運河建設に尽力したことを高く評価されて、現役総理として亡くなられた翌年・昭和56年4月に除幕されたそうである。同時に、パナマ市内繁華街の道路に「大平通り」の名がつけられた。現日本大使館前道路
◎パナマ運河
米国の東海岸と西海岸、大西洋と太平洋を、南米大陸を迂回せずに結ぶ航路として建設されたパナマ運河。100年以上前の1914年に完成した世紀の大事業である。標高差のないスエズ運河と違って、海抜26mのガツン湖を経由するため閘門を使って船舶を昇降させている。
運河の閘門は、幅33.5mの2連で建設され運用されていたが、物流の増大、船舶の大型化に対応するべく、バイパス的な3連目となる幅55mの新閘門が2016年に完成した。このことによって大型のコンテナ船やLNG船が通行できるようになり、貨物通過量も倍増したとのこと。
運河の通過は完全予約制で、両方向あわせて1日あたり40隻弱が通行しており、2019年度の通過貨物量は252百万トン、内、日本を発着するものは13.5%であった。また、同年度のパナマ運河庁の収入は33.6億ドルで、国庫には国家予算の約7%にあたる17.8億ドルが納付されている。
旧閘門は、ゲートが観音開きで、船舶を両側から機関車で牽引するのに対し、新閘門は、ゲートは引き戸方式で、船の前後に付くタグボートが通過をリードする。私たちは、先に新閘門を訪れたが、ちょうど1万個積みのコンテナ船が通過中で、そのスケールの大きさに圧倒された。旧閘門のほうは、昼食時間になったこともあり、船舶を見ることができなかったが、建設当時からある制御機器などを見ることができて、100年以上前の技術力の高さに感心し、見入ってしまった。
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旧運河 太平洋方向 |
旧運河 大西洋方向 |
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旧運河 機関車レールと閘門 |
手動制御盤 方柱は水位計 |
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大型コンテナ船通過中 奥は節水目的の貯水池 |
新運河大西洋方向 |
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船を引くタグボート |
ゲートが押し出されてくる |
◎2月臨時議会
今年も2月20日に臨時議会が開催され、私は申し合わせの任期ということで議長を辞職した。それを受けての議長選挙では、堀田議員26票、近藤議員6票で、堀田順人議員が議長に選任され、新今治市になって初となる議長再登板になった。つづいての副議長選挙では、木村議員16票、渡部豊議員15票、無効1票で木村文広議員が副議長に選任された。
このほか、議会選出の監査委員には山岡健一議員が就任し、常任委員会、特別委員会の正副委員長も新しくなり、残り1年となった今任期の体制が整った。私は、議長明けということもあって無役となり、肩の荷がずいぶんと軽くなった。
議長を務めたこの1年間は、本当に多くの場に立たせていただき、臨ませていただいた。様々な経験をさせていただいたおかげで、大きく、新しく視野を広げることができたと思っている。これらで得られたものを今後の議員活動に活かすことはもちろんであるが、議員として、新しいスタートに立った感も強いものがあり、市民のため、今治市のため全力を尽くしてまいりたい。
森きょうすけ
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